母親との対決

母親との対決

そうこうしていますと、母親が退院して帰ってきました。父親は事の詳細を話して理解はしていましたが、最終的には「お前がお母さんを説得するように」と言われていました。

母が退院して数日たった時、私はちょっと話がある、という事で母親と話をしました。その話し合いは、今考えると母と真剣に話した最初で最後の話し合いであったかもしれません。

当時の状況としては、アメリカのハロウイーンの時に留学生がピストルで射殺されたニュースが半年前位にあり、まさかそんな時に自分の息子がアメリカに行きたい、しかもテストも合格してお金も自分でせっせと貯めている、ときいたら母親はどんな思いでしょうか。今私は息子が一人おりますが、私の妻だったらどんな決断をするか、とかんがえこんでしまいます。

さて、その話し合いは結構長丁場になりました。3日間、夜遅くまで話し合いをしました。

母は「アメリカ人は銃を持ってる。しんだらどうする?」となんども言いました。母は何とか私をあきらめさせようとしている雰囲気でした。母は大分出身で外国人と言えばアメリカ人という感じの人で、テレビに出てるものはすぐ信じるタイプの人間です。私はどんなに安全かを説明しました。ただそんな説明は母には通用しないのはわかっています。最終的にその話し合いは3日目の夜に私が放った一言がその話し合いを決着しました。

それは「お母さんだっていつ死ぬかわからんやん」でした。母はそこで何も言う事はなくなりました。私はこの一言だけは言わない様にしよう、これは一番お母さんが傷つく言葉だ、とおもっていた言葉がつい口から出てしまいました。

私は母とこのような話し合いを青春期に行う事ができて幸せだと今でも思います。ちなみに母は20数年後の今も体調はいつも悪いようですが元気で生きていますし、私も射殺されずに帰ってきて今も生きております。ちなみに母は私がアメリカに行った時に、「死んだと思って見送った」との事でした。母は強いんですね。

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